震災の前年以来だから4年ぶりだった。
昨年(2014年)、仙台にくらす親友の家族といっしょに、ひさしぶりボクは沖縄本島をめぐった。
ところがずいぶん変わったなという印象だった。
沿道に並ぶコンビニもショッピングモールも牛丼ファーストフードも本土のどこかの地方都市と変わらない光景で、あの10年前はじめて上陸し心踊った記憶からは「なんだかすっかり日本化されちゃったなあ」という印象だった。まあ、「日本」なのだから当たり前なのだけれど。
だけれど、衝撃的だったのはコザだ。
コザ。僕の感覚でいうと沖縄の大阪のような街。那覇が東京だとするとコザが大阪。
10年前、僕はこのコザを拠点にして沖縄本島をめぐった。そのころは活気のある街で、音楽の街、芸能の街、そして基地の街だった。夏のお祭りの季節とも重なっていて、夜遅くまで飲みに歌いにぎやかだった。
それが今回旅の夜に、親友の家族を誘ってひさしぶりのコザの街を歩いたが、賑やかだった記憶の商店街を覗くと向こうの端までガッチリ閉まった暗い世界。完璧なるシャッター街。それもなんというか、パンデミックに人の絶えてしまった街のような、ちょっとぞっとする暗さなのだ。
かつてを知り、期待もあっただけに、あれは衝撃的だった。かつてを知らない親友の家族もちょっと特別な印象に残った様子。
世界経済がグローバル化したこの20数年のあいだに、本土の地方都市の駅前商店街に見られてきたのと同じ光景だ。救いの手がないのだ。そこまで日本化なのだった。
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