2015年2月27日金曜日

軍隊とは? と考える夜。

いま日本は軍隊を持っていない。
自衛隊は軍隊ではないからだ。

軍隊とは自国益のために他国の
人を殺す「権利」を持ってる集団のことだ。

「人を殺す権利」

そんな「権利」が理論上ありえるか。

人を殺す欲望

なら、ありえるだろう、
だがそれは「権利」には至らない。

なぜなら、
欲望=意思において「殺したい」という現実が在ったとしても、
しかし、その「殺したい」思いの結果=成果が
その行為者にとって最善であったかどうか、それは結論できないから。

なぜなら、
人は人と協働することにより利益を得ても、
人を殺す=現存在を抹殺することによっていかなる利益が得られるか正確には想像できないから。
もしもその行為が行為者に最善のものをもたらさないのだとしたら、
その欲望=意思は、その人(行為者)の「権利」だったとはいえない。

むしろ、その欲望=意思そのものがその人にとっての害悪だったと言われるだろう。

ボクはそう考える。そう考える人間だ。

よって、「人を殺す権利」を主張するような軍、軍隊とは、
人間精神にとっての矛盾であり、というより思考停止状態であり、

僕らの叡智の結晶である現憲法からいっても、、まったく相容れない概念だ。

2015年2月18日水曜日

沖縄のこと その4


栄町を出てから桜坂の方へ、
那覇に来るとボクはたいていここらの路地をウロウロする。

そして浮島通りへ

今回の旅のおまけに、いちばんさわやかだった発見は、桜坂から浮島通り、さらに国際通りを横切ってニューパラダイス通りに美味しそうなカフェーやかわいい雑貨店、器屋さんなんかがポッポッとできていたこと。
初めて那覇に来た時から浮島通りはいちばんオシャレな通りだった。もう10年前のことだ(ポールスミスのアウトレットショップとかあったし。いまもあるし)。
それが今回の旅ではググッと進化していた感じ。

そんな浮島通りの小さなアクセサリーショップのオーナーにふと話を聞いたり。

ー カフェとか雑貨屋さん、すごくないですか。

ー 僕もそうですが、3.11のあと移住してきた若い人たちがたくさんいるんです。みんなでがんばっているんですよ。あ、これどうぞ。

と、浮島通りからニューパラダイス通りまでを網羅した散歩ガイド。

ー へえ。さっき栄町へも行ってきたんですが、なんか那覇がまた楽しい街になってきていますね。

ー そうなるといいんですけどね。

コザの暗さのことを話したら、なんか商店街のオーナーたちが高齢化して、店舗を貸し出すより、いまのままで十分収入があるから発展しないんだというようなことを教えてくれた。

あー、今回の旅は、ブームの宮沢くんご贔屓の台湾精進料理屋さんも味わえたし、桜坂劇場で映画も観れたし。那覇の新しい展開も感じられたし。
当初の予定のように座間味には行けなかったけど、沖縄はいつだって僕を目覚めさせてくれる。

この島の光と闇を感じつつ、

いまおもえば辺野古へも行きたかった。





ていうかいますぐにも辺野古へ飛びたい。くそ!




2015年2月14日土曜日

「花燃ゆ」と人権思想のこと

ほんのささいなプレゼンツに

ひとの心が動く
ただそれだけのことが
そのことが「人権」というものの根っこにある根拠

生きている人のすべての人の権利の根拠だ

それだけで人は変われる。

万物皆我に備わる
身を反みて誠あらば
楽しみこれより
大なるはなし

孟子の言葉に
僕は聞く
たとえばスピノザ

人間精神は
神の永遠・無限なる本質の
妥当な認識を有する。

ゆえに理性的でありかつ自由であると。

同じこと。

基本的人権
国民主権
また平和主義

2015年2月9日月曜日

沖縄のこと その3



まぶしい日差しの昼間。

2014年、沖縄訪問最終日だ。
親友の家族と空港で別れたあと、飛行機の時間まで那覇の街を歩いた。

三越が撤退し、ドン・キホーテが進出した国際通り。
喧騒はあいカワラずだ。
狭い車道を自動車が押し合い、外人、ナイチャーみんなしてヘロヘロ歩くまるで竹下通り。英語に中国語、ギャル言葉にヤンキー言葉にクラクションだ。

ボクはまっ先に栄町へ向かった。
今回の旅ですでに二度、夜の栄町を訪れていた。
一回は一人だった初日。二回目は親友の家族と沖縄料理の老舗「うりずん」へ。どちらのときも栄町の夜の奥へと探検したが、そこは煌々とした店々の明かりにドキドキするような活気ある沖縄タウンだった。

そして三たびめは、その昼の顔を訪ねてみたかったのだ。
3年前か5年前か「こぺんぎん食堂」ができたころ初めてその界隈を歩いたときはまだ栄町はすたれていたように思う。観光地化した牧志の公設市場とはちがい、地元の生活者のためだけの市場。そんな雰囲気はそのころからあったけど、別段栄えているようにも思えなかった。

しかし今回訪れた昼間の栄町は、夜ともまたちがった庶民の「市場(マチグヮー)」としてたしかに生き生きと復活していた。

これは僕の撮った栄町2014の映像


復活の詳細ついてはこんな映画もあるぜ


ひとつの商店街が復興するにはたくさんの微分上の要因がある。この那覇の市場の事例が全国的に敷衍できるとも思えないし、第一ヒトの気質が違う。
しかし結局はどの商店街にも云えることは、(きっと)そこにある「オリジナリティなるもの」を信じて疑わずにどこまで押し出せるかどうか。そしてその魅力を保証するように集まってくる若者たちの存在に応えられるかどうか。
若い世代がいない空間に未来はないのだろう。

そこに本当に、
「オリジナルなもの」があるのかないのかはどっちだっていいのだ。残るのは信念と、沖縄言葉でいう肝心(ちむぐくる)さ。

最後に昼の栄町の象徴のようなコーヒー店「ポトホト」での一杯を、





さあ、パレードが動きだす。
これはお祭りなのかもしれない・



2015年2月5日木曜日

沖縄のこと その2



震災の前年以来だから4年ぶりだった。
昨年(2014年)、仙台にくらす親友の家族といっしょに、ひさしぶりボクは沖縄本島をめぐった。

ところがずいぶん変わったなという印象だった。
沿道に並ぶコンビニもショッピングモールも牛丼ファーストフードも本土のどこかの地方都市と変わらない光景で、あの10年前はじめて上陸し心踊った記憶からは「なんだかすっかり日本化されちゃったなあ」という印象だった。まあ、「日本」なのだから当たり前なのだけれど。

だけれど、衝撃的だったのはコザだ。
コザ。僕の感覚でいうと沖縄の大阪のような街。那覇が東京だとするとコザが大阪。
10年前、僕はこのコザを拠点にして沖縄本島をめぐった。そのころは活気のある街で、音楽の街、芸能の街、そして基地の街だった。夏のお祭りの季節とも重なっていて、夜遅くまで飲みに歌いにぎやかだった。
それが今回旅の夜に、親友の家族を誘ってひさしぶりのコザの街を歩いたが、賑やかだった記憶の商店街を覗くと向こうの端までガッチリ閉まった暗い世界。完璧なるシャッター街。それもなんというか、パンデミックに人の絶えてしまった街のような、ちょっとぞっとする暗さなのだ。
かつてを知り、期待もあっただけに、あれは衝撃的だった。かつてを知らない親友の家族もちょっと特別な印象に残った様子。
世界経済がグローバル化したこの20数年のあいだに、本土の地方都市の駅前商店街に見られてきたのと同じ光景だ。救いの手がないのだ。そこまで日本化なのだった。

これまで政府が沖縄へばら撒いた多額の助成金などまったくこの街には届いていないかのようだった。

2015年2月4日水曜日

i am Kenji / i am not Kenji

まいにち
このまいにちを会ってきたようで
身ぢかなひとが冷たくなってしまったときのよう

(ああトーキョーの電車の音がする・・)

穴ボコ 小さいんだけどね どうやら深くて 暗くて
その向こうから 黒づくめのあいつらがまだ覗いているようなんだ・・

笑えないような 冷たい雨のような
晴れ間の雨のような 釣り堀をさまよう小鳥のような

(キミはキミでそこで飢えをさがしているんだな)

しずかな怒りが体のなかへ
悲しみは霧となって

空へ

のぼり 沈み
目の前の日常の目の前のボクはカテーンを引く

[2015年2月2日 月齢十三夜]

利益が資本と労働のいっぽうに偏らないように
ナイフが血を求めないように