2015年3月6日金曜日

先日、憲法のほんの一部を訳してみて感じたこと。

やはり僕らのこの憲法は、激しい戦争が終わったあとの厳しい時間のなかで編まれたもので、そのときにしかない、異常なコアな熱い思いを、英文の原典はいまも確かにくっきり残しているってことだった。

それは戦後の日本の社会を刷新するために、この憲法を草案したアメリカのリベラルな若者たちの渾身の夢であって、その理想の高さと誠実さに胸が熱くなる。

ここには、ほぼすべて西洋文明が勝ち取ってきた市民革命の、すなわち民主主義の価値観がそのまま表現されている。僕ら日本人は西洋のように、この価値観を革命によって勝ち取ったわけではない。しかし革命よりさらに悲惨な敗戦によって「勝ち取った」のだ。
これを手放すことはできない。できない!

できない!

いま、自民党が出している憲法草案は、そういう歴史から得たのものをすべて(平和主義も基本的人権も国民主権も)排除している。

あるいは意味をなさないような形に「言葉だけ」残しつつ形骸化しようとしてる。
僕の訳した97条のところも、自民党草案ではきれいさっぱり削除されていて、

彼らはこの国を、戦前のような戦争国家、英米と肩を並べらるような列強にしたいのだろうが、

そんなことは許さない。

そんなことを、いまこの国の人々が本気で許すだろうか。

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