2011年3月15日 曇りのち雨
涙が流れてきそうな冷たい空だった。
彼女はもうフランスへ帰ってしまったし、僕は朝からひとり毛布にくるまって、空からいま通常の30倍を超える値の放射性物質が舞い降りてきているというニュースを聞いていた。「ただちに人体に影響を与える濃度ではない」という。だが世界はもう目に見えないところで決定的に壊れはじめているのではないか。見えないものの恐ろしさにおびえ、僕は強い孤立感を感じていた。
それでも、それは今日東京でまだ生きている僕らへ、被災地から届いた物理的「現実」なのだ。ここで逃げたらこの先もずっと逃げることになるだろう。
ボクはテレビを消してネットを切ると、厚手の靴下にトレッキングシューズ、毛糸帽を目深にかぶってマスクをして部屋を飛び出す。長いこと、身も心もすくめて情報に身を晒していたせいで、腰から首にかけて筋肉が引き攣っているようだった。
ペダルを強く踏む。主人のいなくなった桃園が見える。いつのまに咲いたのか、濃いピンクの点々が灰色の空に滲んでいる。まっすぐに伸びた枝も、暖かみのあるオレンジ色だ。いつのまにか春は近づいていた。
近くの畑にはペンペン草がもう生えて、その隣には名前を知らない紫色の花。向こうには、山茱萸やミモザの畑が黄色い炎となって燃え立つよう。同じ黄色でも、山茱萸は垂直に伸びた小豆色の枝に一粒一粒灯るような濃い黄色で、ミモザの花はライム色の小葉に守られて、ひとかたまりに圧縮されてはじける炭酸飲料レモンイエローだ。枯れたミモザの葉や枝がやさしいサーモンピンクなのも初めて知った。よく見ると、畑の土までぼんやり暖色を帯びている。
またペダルを踏む。この辺りで唯一武蔵野の自然が残っている雑木林に入る。木々の枝はまだ黒く裸のままだが、落ち葉のあいだから伸びた草の色はやはり暖かい。そのなかをついばむものを探して、ツグミたちがヒヨヒヨ歩いている。僕も自転車を降りて歩いていく。黒々とした林の尽きるところで、大きな白梅の木が煙るような薄桃色に発光していた。
近寄って見ると、花弁の白と萼の赤のなんと潔い鮮やかさ。中心の蕊の黄色は星の形だ。小さな花火のように、一輪一輪が冷たい空気のなかで震えている。太い幹から直に伸びた若枝に並んで咲いているのも、まるで精霊のつくり物のようだった。
離れ際なんども振り返り、白い空、黒い林を背景に、薄桃色が半透明に燃え上がるのを見た。木全体が凛とみなぎっている気配。世界は生きているのだ。
さあ、雨が来る前に街まで辿り着かなくては。僕はさらに強くペダルを踏んで、坂を上がって行った。
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