2016年5月21日土曜日

憲法のこと その3「内包と外延」

もちろん。そう。

日本国のコンセプト(概念)をハッキリしめすのが憲法だ。
そこに間違いはない。

ただ
その概念の、内包をしめすのと
外延を並べるのとではずいぶんちがう。

内包と外延。

たとえば、
芸術という概念を説明するとする。

概念の〈内包〉というのは、
芸術とはなにか、
芸術的なるものすべてに共通な本質とはなにか、それを定義したものだ。
たとえば「芸術とは人々を幸せにするものである」とか
たとえば「芸術とは人間の隠された真実を暴くものである」とか
たとえば「芸術とは究極の美である」とかとか。

対して、

概念の〈外延)というのは、
音楽とか絵画とか、小説とか詩とか、あるフレーズとか、ある色彩とか、
芸術的なるものの本質に合致するような
具体的な事物たちの集合のことだ。

そういうこと。

憲法は、たしかに日本国のコンセプト(概念)をハッキリしめさなければならない。
しかし、そのコンセプト(概念)の〈内包〉を示せれば十分なのだ。
日本国の本質を言葉で示れせばよいのだ。
(そしてそれは現憲法で十分に尽くされているとボクは思う)

なのに、
どんな文化や歴史があったとか、家族愛がどうとか、郷土愛とか、
そういう具体的な個別的な匂いのある〈外延的な〉ものをそこに入れこむ必要はじつにまったくないんだ。
(自民党の草案にはそんなような文化とか歴史とか愛とかなんとかいう言葉がいっぱい出てくる!)

そうなるともう、そもそも〈法〉ですらない。

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