2015年3月18日水曜日

2011年3月19日の日記から

 2011年3月19日 快晴

 空は晴れ、世界にはまんべんなくあたたかい陽射し。たまさかの僥倖。
 本日東京の放射線量は0.047マイクロシーベルト毎時。平常よりはまだ多いが、国際原子力機関が「都内に健康上の危険はない」と発表したせいか、テレビもいつも通り平凡になったし、みんな街に出てにぎわうべきところはにぎわっているようだ。しかし被災地の状況はいまだ全体が見えず。いまも救援がないままに取り残されている人たちが海岸部に点在している。
 僕はまたひとり。ペダルを踏む力に汗ばんで、脱いだダウンジャケットを自転車のカゴに突っ込んだ。見上げると、四日前にはまだ固かった白木蓮の蕾がふくらみ始め、寒桜の葉もやわらかく空に伸びていた。
 図書館に寄り、もはや僕のなかで古びた本を返し、駅前のデパートでまたいつか会えるときのために彼女へのプレゼント(白木蓮色の下着だ)を購うと、まっすぐ南下して多摩川の川辺りに出た。
 おぼろげな、春めいた空気のなか、キャッチボールをする親子やサッカーチームの練習風景はいつも通りの河岸の景色だ。頭上に広がる大空は、くすんだ空色から柔らかな桃色へ、たしかにうつろう春の夕暮れの空だ。あと十数分もすれば陽は落ちるだろう。
 岸辺近くに大きな柳の木が一本。空に向かって新芽をライトグリーンに輝かせ、無数の椋鳥たちの棲家となっていた。なにを合図にしているのか、いっせいに黒豆のような椋鳥の影が何百と大気を揺さぶり飛び立つ風景に、こちらの心まで乱された。
 鉄橋の上を列車が走って行った。振り返ると、かすんだ西の空を、陽は今まさに沈み消えようとしていた。
 僕は目を凝らし、見つめる、自分の眼で。遠く多摩丘陵の稜線に欠けていく、光の真円を。それは地平の底へ向かってじわじわと小さくなっていく。現実には、太陽が沈んでいくのではないと科学は言う。動いているのは自転している地球のほうで、太陽が沈んでいくように見えるのは、地球上からの視点が被る「錯覚」にすぎないと。けれど「現実には」という、その「現実」とはどんな「現実」なのか。地球上からの視点もまた一つの視点ではないか、とも僕は思った。
 ——目に見えるものを信じるか、見えないものを信じるか?
 人類は、これまで徹底した実証主義によって科学的真理を積み上げてきた。だが一般人にとって、その真理が日常経験と異なる時あるいは目に見えない時、それが真である根拠は、「科学(あるいは教科書)がそう言ってるからそうなんだ」と「信じる」こと以外にない。地球が太陽のまわりを回っている風景を見ることはできないし、またインフルエンザのウィールスが体のなかで暴れている姿を見ることもできない。同じように、いまこの上空をどれだけの放射線が飛んでいるか、どれだけの放射線を体内に蓄積すると有害となるのか、それらが目に見えず、計測機器もなく、また経験もない以上、われわれはまず科学的真理≒情報を「信じる」よりほかないのだ。にもかかわらず、その情報をどのように「信じ」、そこからどのようなアクションを起こすかは、まったくもって個々人にかかっているのだ。
 いま西の空で、命尽きるように地平の底へ沈んでいった太陽は、僕の目には沈んでいったとしか見えなかった。
 沈んでしまうと空はさらに激しく燃え出した。それは、日没点を中心に黄色から濃いオレンジ色へグラデーションするラジエーターだった。自然界の放射性物質だった。そして、主観的にその「印象」を言えば、それは、没する者の悲痛の叫び、爆発的なメッセージ、まるで革命家の血のように、詩人の涙のように、辿り着かない永遠に向けて最期の光を放っているようだった。
 その外側からははやくも藍色の闇が滲み寄ってきて、夜の藍と日の名残りのオレンジとが重なり合う中間領域は、不思議な飴色に輝いていた。
 僕は自転車を降り、流れる川の水際まで、枯れ草色の葦の茂みをかきわけていった。水際は小さな崖のようになっていたが、釣り人がつくった窪みまで降りると、そこは足元まで水に触れられるほどの低さだった。そして波打つ水面には、あの上空での色彩のせめぎ合いがそのまま、まるで鏡の向こうの世界のように反映し揺らめいて、立ち尽くす僕の濡れた足元にまでしたたかに届いているのだった。
 そのとき、葦の茂みの向こうの闇から声がした。姿の見えぬその声は、ひそひそと軽やかで、よく聞くと、一人の女子学生が熱心に友人に学校での恋を相談しているのだった。
 でねえ……そうなんだけど……だってえ……でしょ……でも……ああどうしよ……
 ああ、陽はまた昇るんだ、と僕は思った。
 この世界にはまだ、見えないものへの恐怖より、見えないものへのときめきがある。あの断末魔のようなオレンジ色の死は、再びまぶしい産声となってかならず東の空に帰ってくる。それは願いでも希望でもなく、生の事実なんだと。

 ハンドルを握って堤防の上まで一気に駆け上がる。空はますます墨を流したように暮れていったが、そのまだらのなかをまだ多くの市民が当たり前のようにランニングしたり散歩したりしていたのだった。

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