2015年1月17日土曜日

沖縄のこと その0



 今から10年前。BEGINの「島人ぬ宝」の年だから2003年か。はじめて沖縄の地へ降り立ったとき、ここは半分、日本ではないなと肌で感じた。街のそこここに日本とはちがう、日本にはない異質な何かがいろんな意味で漂っていた。熱帯アジア特有の気候と雰囲気、琉球王国時代の文化や芸能や気質、それからアメリカの占領と基地の存在がもたらしている風俗や制度だ。時間と空間、過去と現在、ざまざまな次元で日本という閉鎖空間からは見えなかったものたちが、まぶしい日差しの向こうからボクを眺めていた。

 でも当時、そこはたしかに地政的には日本なのであって、パスポートはもちろん必要なかったし、土地の人もなぜかみんな日本語を話してるし、テレビをつければよく知っている「内地の」番組が映っていた。(内地! そう内地。本土。いまでも沖縄の人らは「県外の日本」のことをそう言う。自分らはウチナー、ほかの日本人はナイチャー。これは戦前まで沖縄がじっしつ日本の植民地だったことをしめす暗い歴史のこだまだろう)。

 半分は日本なんだけど、もう半分は日本じゃない!

 あの感覚はなんだったのか。あれにボクは興奮したのだ。あれがボクの今もやまない沖縄へのあこがれの原点となったのだ。10年前のあの日々、ボクは、まるで「世界」と「日本」とを結びつけるミッシングリングを発見したように興奮したのだった。

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