半分は日本なんだけど、もう半分は日本じゃない!
という、危ういけれど、コトの真実を見られるポジションに、ボクはほのかなあこがれを抱いてきたし、今もシンパシーをもって生きている。沖縄しかりアイヌしかりイヌイットしかりケルトしかり、で、また(ときに)演劇者もしかりだとも感じている。
1972年「沖縄返還」のとき、沖縄では未来のことを思う人びとのあいだで「復帰」か「独立」か、はげしい議論が沸き起こった。それは、うちらウチナンチューは本来「沖縄」であって「日本」でも「アメリカ」でも「中国」でもないという感覚があり、「復帰」という言葉に実質感がなかったし、ましてや「返還」となどという言葉はどこからくるか! もともと沖縄は誰のものなのか!
戦争は、ある日、海の向こうからやってきた。
ヤマト(日本)のほうからは日本の軍人たちがやってきて、反対のほうからはアメリカの軍人たちがやってきて、互いに土足で島を蹂躙していった末、沖縄の人びとは15万人も死んだ。島じゅうが鉄の雨に打たれて焼けた(激しい破壊ののちに沖縄本島を占領したアメリカ軍は、捕虜となった日本軍人と沖縄住人とを別々のエリアに囲ってきっぱり分けた。それは統治上、別々の民族と認識したからだった)。
ボクらは認めよう。いま沖縄はボクらと同じ国民で、同じ運命をともにしつつも、ボクらとはすべて同じではない少数派の人々であることを。ボクら日本の勝手な戦争で15万人の人びとが「見殺し」にされたことを。それからいまも米軍基地の70%以上を「理不尽に」押し付けてることを。いさぎよく認めよう。そしてその「倫理的な負債」をどうすれば返済できるかかんがえなければならない。
そうでなければ、いつか近い将来に、沖縄が(ふたたび)日本本土からの独立を求める声があがるのも夢想ではないように思う。昨年のスコットランドのように。
そういう声が起こっても不思議ではないし、起こるべきだとも、ボクは思っている。