2021年1月12日火曜日

フィクションとノンフィクション のはざまの「リアル」

 東京国立近代美術館フィルムセンター

「特集・逝ける映画人を偲んで1998-2001」にて。
相米慎二監督「ションベン・ライダー」を(久し振りに)見て

*   *   *

 ボクは歌いたい。むしょうに歌いたい気分なのだ。誰に向かって? それがわからないのが、やや不安なのだが、それでも歌いたいのだ。

 ボクの叔父は、カメラと登山をこよなく愛した男で、今でこそ交通事故に会って、半身不髄、さらに頭をやられて、「ただ生きているために生きている」ような生命機械と化してしまい、車椅子での生活を余儀無くされ、ボクがボクであることすら、自分が何者であることすらわからなくなっているのだが、ボクや弟がまだ幼い頃は、冬になるとスキーへと連れていってくれ、その度に8ミリで滑って転ぶ様をフィルムに残してくれたりしたのだった。まだホームビデオなどありもしない時代で、よほどの好事家でない限り、8ミリフィルムで動画を映すことなどなかなかなかったように思う。正月などに親戚中で集まると、白いシーツを吊って部屋を暗くし、そこにスキーやらピクニックやらの絵を映写してみんなで楽しんだものだった。ときどき逆回転させたりして。トイレに立つ人の背中にまた絵が映ったりして。「ああん、見えないじゃないか!」「アッハッハ!」――ボクにとって、あれがはじまりの映画、映画の記憶のはじまりだったのかもしれないと思う。 

 久し振りに「ションベン・ライダー」を、映写機の大画面で見て、なんだか80年代に戻ったような既視感の中で、ボクは京橋から銀座まで歩いていた。空は白く曇って、風はなく、土曜日のオフィス街は人もまばらで、どうもいまが2003年だなんて信じられないような気分になってしまった……。

 ボクの目は切れ目なく雲を追いかけ、ビルからビルへと飛びすさり、人々を映し出す。現実にはいかなるカット割もない。
 相米監督のあの、長回し、ワンシーンワンカットという手法は、つまり、人生の記録としての映像美なのだと、つくづく思う。そして、その美がやはり、ボクをこよなく魅了するのだ。そのとき、そこで、カメラの向こうで、そういう事件があったのだ、という事実。それだけで、美しいのだ。

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 幕が開くと、木之元亮のヤクザが誘拐のための準備体操をしている。隣にいた子分の桑名将大が横断歩道を渡っていって(カメラも動いて)、デブガキ大将に話し掛ける。ガキ大将の前には、学校のプールがあって、これもガキのまんまの河合美智子と永瀬正敏と坂上忍が泳いでいて、いじめられている。河合美智子が叫ぶ「ボクは女じゃない!」すると、先生役の原日出子のヒステリックな声が入ってきて、校庭には盆踊りの準備、その周りをワルガキたちのバイクがぐるぐる回って、どうやら一学期最後の日らしい。明日から夏休みなのだ。服を着た、河合美智子と永瀬正敏と坂上忍の三人が走ってきて、デブ大将に仕返しをしようとするのだが、目の前で、デブ大将は誘拐され、呆然と見送る三人の横の学校の塀には、らくがきで「ションベンライダー」――。

 ここまでがオープニングいきなり15分間のワンショット、おそらく伝説といっていいような回りっぱなしカメラなのだ。
 初めて見た中学生のとき、ワンショットだったなんて気づかずに、でも無意識に「ゲゲ、これはなんだかすごいぞ」と引き込まれたのを覚えている。

 その後も、どのシーンも、強引なほどカメラは回りっぱなしだ――。
 コンクリの川べりでキャッチボールしながら、河合美智子と永瀬正敏と坂上忍の三人がデブ大将を追いかけて横浜まで行くことを決意するシーン。
 ヤクザと警官たちが乱闘する横浜の路地で、三人が田中巡査(伊部雅刀)に出会うシーン。
 薄暗いだるま船の中で、落ちぶれヤクザの藤竜也に挑むシーン。
 水辺に浮かぶ材木置き場での乱闘シーン。
 打ち上げ花火を背景に、シャブでラリって荒れ狂う藤竜也と、三人の切ないパーティーのシーン。
 生理になった悲しさに、河合美智子が、海に潜って首まで漬かるシーン。
 「バンザーイ、バンザーイ」とマッチの唄を歌いながら、踊り狂うラストシーン。

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 どうも、制作サイドは大変苦労したらしく、「ロングのワンショットが多すぎて切る事が出来ない。最後は仕方なくばっさり切って辻褄のあわないところは無声映画よろしく字幕を挿入して仕上げた」ということらしい。

 しかし、重要なのは、物語ではなかったのだ、ということに気づく。
 マトモな劇映画として見たら、「ションベンライダー」はまちがいなく破綻している。いいかげんの極致である。一つの物語とかテーマとかに向かって、カット割りや編集が、すき間なく構成され、配置されたというような気配はまったくない。一つの長いショットとショットがほとんど脈絡もなく接続され、イメージが延長されてゆくのだ。
 しかし、物語など、なにほどのことでもない、ということにあらためて気づく。
 ただ、そのとき、その場所で、河合美智子や、永瀬正敏や、坂上忍や、あるいは、藤竜也や原日出子らが、騒いで、はしゃいで、傷ついて、呆然としていたとう事実だけが、忘れがたく心に残るのだ。
 そこに、カット割りや編集による、「操作」がありえないという保証によって、事実が「リアル」に迫ってくるのだ。
 ただただ、そういう過去があったという事実が、せつないのだ。

 長回しを成立させるためには、大変な準備を必要としたのだと思う。
 ロケーション、小道具、エキストラ、天候、きっかけ、タイミング、段取りの打合せに、リハーサル、無線でやり取りをし、助監督は走り回って、起こりうる事故を計算し、準備し、そうして、後はカメラが何を見るかに任せたのだと思う。フィクションを、極限までノンフィクション化していくためのあらゆる努力が払われたのだと思う。
 そうして、そこにあるのは、カメラの向こうで起こっていることだけが「リアル」なドラマなのだ、という信念なのである。

 今ではたいてい編集やカット割りという技術的な操作によって、事件はするりと「物語」に変換させられている。それがあたりまえだ。テレビドラマや映画だけの話ではない、ドキュメント番組やニュース映像ですらそうなのだ。
 物語は技術的につくられるのだ。「リアル」は、わかりやすく、知的に編集され処理されて「物語」として仕立てられる。それが現代のボクらを取り巻く映像のほとんどだ。
 なぜなら、生の「リアル」は受け入れがたいほどに、訳のわからないものだから。そんな訳のわからないものは商品にならないからだ。

 しかし、80年代には、まだ、相米監督たちがいて、あのように(無謀にも)敢えて、「リアル」を追求する力があったのだと思う。

 だから、本当に、僕は歌が歌いたいと思った。

 始まりがあって、目的があって、終わりがある。結末がある。
 これは理屈だ。だが、これが「物語」なのだ。
 しかし、ボクらの人生は、人生の「リアル」は、決してそんなふうには仕立てられてはいない。始まりもなければ終わりもなく、目的すらさだかではない。徹頭徹尾に不透明なのだ。
 そんなあいまさに、「物語」はわかりやすい幻想を与えてくれるのだが、それは幻想にすぎないのであって、「リアル」の方は、フィクションとノンフィクションのはざまで、相変わらず、徹頭徹尾に不透明なまま、ボクらを脅かしているのである。

*   *   *

 ひとつの歌なのだ。
 ひとつのシーンを撮るという事件が、ひとつの詩だったのだ。
 詩から詩への連鎖が、ひとつの映像詩集として、「ションベンライダー」としてまとめられていたのだ。
 そう思ってみるととき、この作品はおそらく、やはり、日本映画史に残る名作として、何百年後も残っていくくらいのもんだろうと、ボクは哀しくも思うのである。

 

2003.05.17
JIN