2019年8月14日水曜日

如月さんの記憶。

如月さんの記憶。

その1)
ボクが如月小春と出会ったのは、テレビの中だった。1980年代半ばボクはいつかトーキョーでの生活を漠然と夢見てた地方都市の高校生で、如月さんはNHKの教育テレビの「週刊ブックレヴュー」という書評番組のレギュラーで、一体この人は誰?と思ったのだ。ただの美人ではないぞ。どうも演劇なるものをやってるらしいぞ、と。それでその当時、地方には演劇なるものは皆無であって、ボクの中で一気にトーキョー=演劇という(実情からいうとかなり混迷した)図式ができあがったのだった。

その2)
どうもトーキョーでは演劇というものが流行っているらしい。夢を膨らましたボクは地方都市いちばんの本屋に出かけたものの、店内には戯曲コーナーも如月小春も野田秀樹も鴻上尚史もなく、とにかく注文して如月さんの戯曲を2冊取り寄せた。なぜ、そのとき野田でも鴻上でもなく如月小春にこだわったかというと当時のニューアカブームに影響されてだったかもしれない。中沢新一はすでにボクのご当地ヒーローだったし、YMOや浅田彰とともに如月さんがそういうグループの人だという認識だったから。しかし届いた「家、世の果ての」も「工場物語」もいざ読んでみたがまったく意味がわからないのだった。

その3)
そんなある日、地方都市の高校演劇部合同発表会のような、地区大会のような、の審査員に如月さんが来るという噂でボクはいそいそと出かけて行った。初ナマの如月小春だった。彼女は、演劇のえの字の知らないボクから見てもどうにも愚にもつかないような発表(特にウチの高校!)にすら笑顔であたたかいコメントを送り、颯爽と現場を立ち去り、トーキョーへと帰って行ったのだった。じつは、ミーハーだったボクはこのとき色紙にサインをもらっていて、そこには今1985年8月2日とある。まだNOISEに入るずっと以前のことだ。

その4)
それからボクはトーキョーへの憧れとともに如月小春=NOISEの舞台を観にたびたび上京した。いちばん最初はベニサンピットの「ISLAND」だった。これはボクがはじめて自分から演劇なるものを意識して観た芝居だった。Bon Voyageの歌は今でも歌える。アンケートに「都会の生活ってこんなに苦しいんですか?」って書いたことも覚えている。それから「SAMSA」「DAILY」と観た。「DAILY」は池袋西武のスタジオ200で幕前に如月さんがタンバリンを持って登場した。それから毎月のように芝居を観にトーキョーへ通った。「遊眠社」も見た「第三舞台」も見た「SCOT」も見た。

その5)
しかし大学に入っていざ自分が夢のトーキョーに上陸してみると、浮かれに浮かれ如月小春どころでなく、自分自身がもう芝居ができるという事態に天下夢中になった。夢のような、めんめんとした日々だった。
上京したその年のNOISE公演は「砂漠」だったが、入ったサークル劇団の合宿と重なり、公演場所はT2スタジオで、合宿から帰ってきた夕方にはまだ楽日のソアレはあったのだが、バスから降りた新宿からはとても間に合わない時間だった。次の年は「NIPPON CHA! CHA! CHA! 」だった。僕はすでに劇団で演出を始めていた。予約をすればよかったのだが、マチネに遊眠社の「半神」を見たあと、中村優子を誘って世田谷美術館へ向かった。雨がしとしと降っていた。当日券で並んで待ったが、最後の最後で「見れません」と(あれはたぶん楫屋さんに)言われたのだった。その次の年の「MOON」はもう見なかった。。。

その6)
とはいえ、「仁は如月小春とNOISEが好きらしいぞー」という昔のウワサは、木霊となって跳ね返ってきた。大学生活も4年生の春、NOISEで若い男優を探してるよーという話が必然のように就職活動もなーんもしていないボク宛に入ってきたのだった。

その7)
とにかく一人ではなく複数人欲しいという話で、ボクは、ボクとしてそのとき身近で俳優として頼もしいと感じていた甲斐智堯に「NOISEで芝居しないかい?」なんて言って誘ってNOISEの稽古へ出かけたのだった。下北沢アレイだった。なーんだか、小さくてよく動く奴と、大きくてよく喋る奴の、絵に描いたような凸凹コンビが来たなというのが後に聴いた瀧川真澄さんの感想。稽古の後、当時アレイビルの2階のカフェラミルで楫屋さんと面談。ボクはNOISEファンだったことを伏せて、演出志望だとかいう話をし、まあ二人とも学生だし、多額の出演料を要求するでもなしで、楫屋さんとしてはまあいいかという感じだったと思う。まあいいか。

その8)
その時の、そのアレイでの稽古は「escape」へ向けてのプレ稽古だったと思う。NOISEではいつもやっていただろう基礎的な稽古が淡々と続いた。ストップモーション。スローモーション。アンサンブル。空間構成。などなど。何が正解なのかドキマギしながらなんとかボクらもついていく。その時だった、なんのシークエンスだったろう、何かを表現しながら単独で上から下へ通り抜けるというエチュードで、ボクはつい昨日まで大学で一緒の芝居をしていた先輩のオリジナルギャグを思い切って採用させていただいた。そして如月さんはそれを一気に全面否定した。ああ、ここではこういうおちゃらけはダメなんだというのが出発点だった。そのことはよく覚えている。

真澄さんの「2020如月小春プロジェクト」へのコメントに触発されて思ったのは、〈単独/普遍〉という軸と〈個別/一般〉という軸の差異で、この違いを見極めることがボクらは最近少なくなったのではないか、ということ! いま世界はますます〈個別/一般〉という軸で物事が処理されているように思う。そこでは物事は数量化され計測される。では〈単独/普遍〉とはなんなのか。まず肉体が空間のなかに在るということだ。そこでは質が問われ、事物=肉体は普遍化=絶対化されはしても、簡単に一般化=平準化されはしないのだ。