エティカルなと言おうとボクは思う。
エティカルなというのは
「自分のほんたうの声にまっすぐな」というような意味だ。
そしてほんたうというのは
なにがいちばん良いことか
それを考えずにいられないということだ。
なかなか、ある組織ある集団のなかにいると
「自分のほんたう」を口にするのは難しいことだろう。
いやそう思って悔いてる人はまだしも
「自分のほんたうの声」が聞こえなくなっている
そんな人がかなり多い気もする。
だからエティカルであり続けることは
なかなか簡単なことでなく、
無闇に人のことは言えないのだけれど、
あの安倍晋三という男の言動を見ていると
あれはしんじつエティカルなものではないなあと思う。
あの男はすこしも「自分のほんたうの声にまっすぐに」行動してるようには
ボクには思えない。
あれはなんなんだろう?
あれはなにかにたましいを奪われた者のように見える。
あの自意識のうすいそらとぼけた嘘のつき方
なんとも屈折率の少ないまるでロウ人形のような
いけしゃあしゃあとした言葉のごまかし方やすり替え
ああいう言葉が「自分のほんたうの声」でないのはもちろん、
ああいう言葉を発するその底にある衝動や信念がそもそも
あの男の「自分のほんたうの声」なのかどうか
ボクにはわからなくなるのだ。
仮にあの男の信念が「日本を戦争ができる国にすること」だとしよう。
また別のなんでもよい、なにか歴史に対する
また民主主義に対するなんらかの反動的なものだとしよう。
(たぶんそうなのだが)
そうした信念ないし衝動があの男の根底にあるとして、
ボクにはそれがあの男の「自分のほんたうの声」ではないように感じるのだ。
これはなんなんだろう?
はたして
なによりエティカルでありたい、
自分のほんたうの声にまっすぐでいたいと、
なにがいちばん良いことかほんたうにほんたうに考えてかんがえた結論が、
日本を戦争ができる国にすることだと
歴史に対してまた民主主義に対して反動的な信念を持つことだと
ほんたうに?
ほんたうに、人はしんじつ言いうるのか?
そこでボクは愕然とする。
ほんたうにその結論なのか?
なにがいちばん良いことか
考えてかんがえ続けることをどこかで放棄していないか?
ボクは悲しくなる。
あの男は亡霊なのだ。
なにものかにたましいを奪われた亡霊なのだ。
あるいはなにかの亡霊によってあやつられている抜け殻にすぎないのだ。
あの男のエティカルな
「自分のほんたうの声」はたぶんその肉体のなかにまだ在るのだろうが
その力は微塵も残されてはいないかのようだ。
だがはたしてその亡霊とはなんなのか?
あの男(=またわれわれ)のエティックを制圧し、
あの男(=またわれわれ)の信念を操っている亡霊とは?
永久戦犯の祖父の怨念か?
極右組織の威力か?
経済界か? アメリカか?
ボクにはわからぬ。
わからぬだけにおそろしい気もするが
(敵はそいつ)
ハムレットならばたかが亡霊にすぎぬと云うだろうか。
(敵はそいつ)
ハムレットならばたかが亡霊にすぎぬと云うだろうか。